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しまし

クラウンレストアプロジェクト

クラウンレストアプロジェクトとは、『歴代CROWNをもう一度走らせよう』という、チャレンジ精神を狙いとしたトヨタ自動車の企画。
初代〜7代目までのクラウンをレストアする(修復し復活させる)ことで、純国産乗用車であるクラウンの歴史を知り、当時の技術や先代のエンジニアたちに思いを馳せながら、さらにこれから先の未来へとつなげていこう、という強い思いが込められています。

この度、岐阜トヨタもこの企画に賛同しチャレンジすることになりました。

今回岐阜トヨタがレストアするのは、郡上のとある鈑金屋さんのもとにあった3代目クラウン
昭和43年から33年もの長きに渡り、当時のオーナー様の手(?)となり足となり活躍していたもの。
オーナー様が訳あって手放すことになってしまった際にも、「何とかこのまま残しておくことはできないものか」とのご要望で、現在の鈑金屋さんの手に渡りました。

この3代目クラウンは、今回のクラウンレストアプロジェクトのために、鈑金屋さんが譲ってくださった大切なお車。
その強い想いと期待に応えるべく、多くの方からアドバイスをいただきながら、知恵と工夫、努力と根性で岐阜トヨタはクラウンを忠実に、さらに美しくレストアしました。

なお、レストアされた全国のクラウンたちは、8/25(木)に愛知県豊田市にあるクラウンのふるさと、元町工場に集結し、東京・代官山まで、総走行距離約430Kmの走破を目指します

岐阜トヨタの努力と根性、強い思いと、多くの皆様の夢を乗せて、レストアクラウンは、代官山まで、さらにその先の未来まで、皆様とともに走り続けたいと思います。

3代目クラウンはどんな車?

昭和42年(1967年)9月13日発売。当時の日本は、新・三種の神器として、カラーテレビ(Color television)、自動車(Car)、クーラー(Cooler)を「3C」と呼び喧伝されるなど、高度経済成長の真っ只中。モータリゼーションの飛躍的な進展に伴い、家庭向けの高級車としてイメージチェンジが図られたクラウン。なかでも、洗練された高級感を想起させる「白」をテーマカラーとした「オーナーデラックス」は、買い求めやすい価格設定と、「白いクラウン」のキャッチコピーと共に、ハイライフの象徴として大きく広告キャンペーン展開されました。

岐阜トヨタがレストアするクラウンが生まれた
昭和43年(1968年)はこんな時代。

  • 川端康成がノーベル文学賞受賞。
  • 日本初の超高層ビル、霞が関ビル完成(高さ147m)。
  • 郵便番号制度実施。
  • 岐阜放送テレビが開局。
  • 男性の長髪、女性のミニスカートが大流行。

クラウンと岐阜トヨタ社員「昭和43年 → 平成28年」比較してみよう。

3代目クラウン オーナーデラックス
販売価格880,000円(東京・大阪店頭渡し)
キャッチコピー「白いクラウン」
革新技術
  • 2ドアハードトップボディ追加
  • ペリメーターフレーム<日本初>
  • フロントディスクブレーキ
  • パワーステアリング・パワーウインドゥ
14代目クラウン 2.0 アスリートS-T
販売価格4,500,000円(消費税込)
企業広告の共通タイトル「ReBORN」
革新技術
  • 2.5L ハイブリッド登場
  • トヨタマルチオペレーションタッチ
  • インテリジェントクリアランスソナー
  • ドライブスタートコントロール
  • 中津川店 渡辺店長

    中津川店 渡辺店長 このクラウンが生まれたのも、私と同じ昭和43年、48年という歳月を感じます。クラウンは細部までレストアされ蘇りました、私の変化はご覧の通りです…。
    クラウンには、昔から変わらぬ魅力があります。ぜひ現代のクラウンの魅力を、ご試乗でご体感ください。

  • レクサス茜部
    棚橋ゼネラルマネージャー

    レクサス茜部 棚橋ゼネラルマネージャー 私も昭和43年式ですが、クラウンのようにReBORNできず枯れてきておりますが、このレストアを見て毎日、腕立てと腹筋を始めました(笑)

  • 可児ボデーセンター 石川さん

    可児ボデーセンター 石川さん 自分の生まれた年と同じ昭和43年式のクラウンのレストアに携わり貴重な経験が出来ました。

  • U-Car大垣 井本さん

    U-Car大垣 井本さん 私の生まれた昭和43年、同級生のクラウンをレストアして頂き嬉しく思いました。私の変身はこんな感じです…(笑)

岐阜トヨタのOBの方に伺ってみました。

3代目クラウン発売当時、営業所長をされていた岐阜トヨタの元社員、OBの佐藤敏則さんに、当時のことや3代目クラウンのこと、今回のレストアプロジェクトについて伺ってみました。

当時の社会情勢について感じたこと

富を豊かにするという国家目標が見事に実現できたのが、昭和36年(1961年)から昭和40年(1965年)の間で、池田総理の唱えた「国民所得倍増計画」にそって当時の国民は昼夜を問わずよく働いたものです。
その後にきた昭和41年(1966年)〜昭和47年(1972年)にその働いた成果が次々に出てきて日本経済がぐんぐん成長した時期です。日本人は等しく胸を張って敗戦国民からの自信回復の時代を迎えたんですね。この時代に3代目クラウンMS50が誕生したと言えます。

3代目クラウンに対する印象

2代目の直線を生かした外観を継承しつつも、穏やかでシャープな外観になり、正面のグリルが左右に廻り込んで豪華感が増しました。従来の機能中心から遊びの余裕が感じられてパワーウィンド、電磁式ロックなど他車にない装備がオーナーの優越感を満足させたと思います。

お客様の3代目クラウンに対する反応

ペリメーターフレーム採用による走行時の安全性、室内の静粛性、ディスクブレーキの効きの良さが評判を呼びました。特にボデーカラーのホワイトは、高級車は黒という従来のイメージから脱却し、オーナーにとって「クラウンは豊かな生活を楽しむためのもの」という意識に変えた最初の車だったと思います。

クラウンレストアプロジェクトについて感じたこと

昭和30年(1955年)に純国産技術によって、日本初の本格的乗用車が誕生しました。観音開きのドアが特徴的でしたね。今から60年も前の事ですが、それは敗戦で焼け野原になった日本の復興を象徴する出来事だったと思います。
その後代々続いたクラウンの歴史を見れば、クラウンはまさに時代の成長を証明してきた車だと言えるでしょう。その点から見ても今回のプロジェクトはトヨタ店の歴史を振り返り、またトヨタのモノづくりの原点を知る意味からも大変意義のある行事ではないかと思います。

OBの方にとって3代目クラウンとは

私は初代クラウンの時代から販売に携わってきました。当時3代目クラウンの時代は営業所長として販売の第一線にいたんです。とりわけ3代目クラウンは広告のキャッチフレーズ「白いクラウンは幸せなハイライフの象徴」と相まって新しい若い経営者の客層を取り込んだ車でした。 私は当時RS(初代クラウン)の中古車に乗っていましたが、「いつかは新車に」なんて思っていましたね。

プロジェクトCROWN

この無謀とも思える挑戦は、平成27年冬から始まった。

『歴代CROWNをもう一度走らせよう』という、
チャレンジ精神を狙いとしたトヨタ自動車の企画、クラウンレストアプロジェクト。
「このプロジェクトは岐阜トヨタが持つ技術力を、皆様に知っていただく良いチャンスになる」
かくして岐阜トヨタもクラウンレストアプロジェクトにチャレンジすることになった。
これは、3代目クラウンに挑み続けた岐阜トヨタの社員たちの物語である。

出会い

レストアされるクラウンを探していると、店舗のスタッフから1本の電話が入る。
それが郡上のとある鈑金屋さんで眠っていた3代目クラウンとの出会いであった。
このクラウンは、昭和43年から33年もの長きに渡り、オーナー様の足として第一線で活躍し続けていたもの。
オーナー様が訳あって手放すことになってしまった際に、「何とかこのまま残しておくことはできないものか」とのご要望で、現在の鈑金屋さんの手に渡った。
「この出会いは何かの縁」
鈑金屋さんより大切なお車を譲ってもらい、クラウンレストアプロジェクトは静かに幕を開けたのである。

48年の重み

ホコリまみれ、サビだらけ。ゴムは石のように固く、エンジンがかかる気配もない。
岐阜トヨタの社員たちは頭を抱えることになった。
自分たちが生まれるよりもずっと前に誕生したこの車を、果たしてよみがえらせることができるのだろうか。
「とにかく、私たちの手で立派なクラウンに変身させてみせましょう」
声を上げたのは若きエンジニアたちだった。
岐阜トヨタのエンジニア魂に火がついた瞬間である。

「無理」からのスタート

エンジニアたちにとって、レストアは初めての経験。部品もなく、資料もない。そんな中で手探りの作業が続く。
まずはエンジン。エンジンの中は想像以上の乾燥。エンジンのふたを外しても油分はゼロ。ロッカーアームはサビがひどく、燃料ポンプも動く気配がない。「無理」の声だけが増えていく。
しかし、あきらめない男がいた。技術課長の長尾である。しばらくして、サービス工場にエンジンの音が轟く。長尾、満面の笑みを浮かべた瞬間であった。

なければ作る

目途がたったエンジンと並行して外装を修復する者たちもいた。
「作業に適した台がない」
古田はすぐさま図面を起こし、それをもとに若きエンジニアたちが形にしていく。
最適な道具がなければ作る。これもまた、岐阜トヨタの技術力の賜物である。

十八番

ボデーからドア・ボンネット・トランクを外し、それぞれ分担して作業を進めていく。
打ち出し、引っ張り、腐食した場所は切り取って継ぎ足し。塗装を意識した下地処理まで。
これまで培ってきた鈑金技術が存分に発揮されるところ。

青空をまとう

外装色にも頭を悩ませていた。ボデーカラーは印象にかかわる大切な決断。
「大空にはばたくような色を。お客様の夢を乗せてどこまでも走り続けられるように」
そして、当時販売されていた色を意識しつつ、オリジナルのカラーが生まれる。
青空をイメージしたこの色には、伝統を重んじ、革新を恐れない。岐阜トヨタの願いが込められていた。

パーツが再び組み合わさっていく

エンジン、ボデー、フレーム。修復と交換のために、一度はばらばらに分解されたパーツ。「無理」と戦い、試行錯誤を重ね、何度もあきらめかけたところで、必ず誰かが声を上げた。
「もう一度がんばろう」
多くのエンジニアの手によって修復され、よみがえったパーツたちが再び一つに組み合わさっていく。岐阜トヨタの社員一人ひとりの想いがクラウンの名のもとに集結し、団結し、こうして一つになっていった。

夢を乗せて走れ

知恵と工夫、努力と根性。岐阜トヨタが一丸となって取り組んだレストア。
3代目クラウンはかつての面影を残したまま、48年の年月を経て再びよみがえった。
8月25日。代官山まで、さらにその先の未来まで。夢を乗せて、クラウンは走っていく。

これからも、岐阜トヨタはお客様に全力で向き合い、
高い技術力とサービスで、安心かつ快適にお車にお乗りいただけるよう、カーライフをサポートしていきたいと思う。

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8/25(木)〜8/29(月)の5日間わたって行われたクラウンレストアセレモニー(CROWN JAPAN FESTA)開催に先立って、岐阜トヨタでは皆様の夢がつまった塗り絵を募集しておりました。
塗り絵にご参加くださった皆様、本当にありがとうございました!
岐阜トヨタのお店に寄せられた作品の数々を、特設ページにてご紹介しております。是非いろとりどりの素敵なクラウンたちをご覧ください!下のリンクボタンから塗り絵のページへ移動してね!

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